意味するものされるもの

ピコ氏は最近宇宙語が凄くて、良く独り言をモニョモニョ(何と言うかブツブツ言うって感じではない)言いつつ生活している。
その中で、親の真似をしているのか?ってなのが浮上してきた。
例えば食事の際「もういらないのね?」→「いにゃなな!(と食器をおしやる)」とか。
大体、お出かけとか寝る時とか、日常使用する頻度の高い単語を鸚鵡返しする。
その場その場で使う言葉を覚えていく過程が面白いなぁ、と。
でも、その他宇宙語が分からないので、面と向かってモニョモニョ青年の主張をされても、相槌しか打てないのが困った。
ピコ氏、大抵そういう時は「分かってんの?」みたいなちょい不満顔なので、もう向こうとこちらの理解の差によるストレスを感じているぽい。この辺の齟齬から二歳児のイヤイヤ期が始まったりするのだろうか。
自分的に乳児期とか、どこかで一体感を感じていたのかも知れないので、(言語によって)親子が分たれる最初なのかも、と思う今日この頃。何やらバベルの塔の話のようだ。